家
2013年 08月 18日
不用になって放置された家(住宅)は廃墟と呼ばれる
繰り返す季節とともに朽ちていく様を
生き物でなくとも痛々しく感じてしまうのはなぜだろう?
かつてそこで営まれたであろう名も知らぬ家族の生活を
フラッシュバックのように想像してしまったり
そこに残る家財の一部で形跡や息遣いを感じ取ってしまうからだろうか
たとえ感傷的な目で見なくても
「家」は誰にでもあり、日々生活する為の大切な原点ではないかと思う
なのに放置せざるおえないということは、それなりの理由があり、
その背景と目の前の惨状とが相まって痛々しさを感じさせるのだろうか
同じ廃墟でも自然に受け入れられた家は美しく朽ちる
緑が額縁のように痛みを覆い隠す
森そのものになった家
中の様子までうかがい知ることはできないけれど
こういう堅牢な団地でさえ、いずれは朽ちていくのだ
家は最終的には自然に還っていく
それまでは、ただ
潤むような窓ガラスに空を写し
土に還るその時を待っているのだけれど
2013.8. Y市にて
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surigon at 2013-08-19 07:26
人が沢山住んでいたであろう集合住宅が
廃墟になると、戸建てよりも物悲しさを感じますね。
緑に飲まれていく建物は、廃墟の中でも幸せなほうなのかも。
廃墟になると、戸建てよりも物悲しさを感じますね。
緑に飲まれていく建物は、廃墟の中でも幸せなほうなのかも。
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daidaiiro0414 at 2013-08-19 07:34
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lenslife at 2013-08-19 19:34
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lenslife at 2013-08-19 19:41
TO daidaiiro0414さま
いつも、こんばんはでゴメンなさい(^_^;)
ヒトも家も最終的には土に還るのは同じかもしれませんね。
色々なものを撮影しょうとすると考えさせられることも多くなります。
それがなにかの気づきになれば写真を撮る意味もありそうです。
あ~!めっちゃマジメモード~w。
いつも、こんばんはでゴメンなさい(^_^;)
ヒトも家も最終的には土に還るのは同じかもしれませんね。
色々なものを撮影しょうとすると考えさせられることも多くなります。
それがなにかの気づきになれば写真を撮る意味もありそうです。
あ~!めっちゃマジメモード~w。
by lenslife
| 2013-08-18 18:36
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